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岩殿山の縁起

岩屋に自生する日陰のかずら
(正式名:イタビカズラ)

 岩殿山(いわどのさん)の歴史はその昔、神代の時代にさかのぼります。
 神話時代、大国主命(おおくにぬしのみこと:出雲大社の祭神)が出雲の国(島根県)から越の国へ渡ってきました。 そして、越の国の酋長であった奴奈川姫(ぬながわひめ)と結婚されます。 二人はこの岩戸山(岩殿山の古名)の岩屋で結婚生活を送り、 ここで建御名方命(たけみなかたのみこと:諏訪大明神)がお生まれになりました。 この時、産婆であった姥嶽姫命(うばたけひめのみこと)が、岩屋に自生する「日陰のかずら」という 植物をたすきにして建御名方命をお取り上げになったところ安産であったといわれております。 この話より、「日陰のかずら」をご神体とする安産のお守りを、当寺院で出しております。 現在、この岩屋には諏訪神社が祭られております。

岩屋に自生する日陰のかずら
(正式名:イタビカズラ)

 天平年間(奈良時代)、聖武天皇は全国に国分寺を建立するよう勅命を下しました。 これを受け、行基菩薩は越後国府(当寺院の地域)へおもむき、岩戸山に逗留されました。 そして、当山の神話(大国主命と奴奈川姫の話)をご追想された行基菩薩はとても感激し、 本尊大日如来像をお刻みなされたといわれております。 また、行基菩薩は国分寺を建立すると共に、「岩戸山妙徳院」(当寺院)を建立し開山されました。 かつて当山は子院十一坊あり、越後の真言宗の霊場として栄華を誇りましたが、 その後、当山は天台宗に属し「岩殿山明静院」に改名しました。 又、本尊大日如来は明治39年4月に新潟県の国宝一号として指定されましたが、現在は国の重要文化財となっております。

 当山は戦国時代の名将上杉謙信の厚い帰依を受け、 上杉謙信公の墓所が当山におかれております。

 昭和の初めには、久邇宮殿下、高松宮妃殿下、東久邇宮殿下、東伏見宮殿下などの宮殿下の方々がご来拝されています。

明静院の歩み

神話時代 大国主命と奴奈川姫が当山の岩屋で結婚生活を送り、信州諏訪大明神(建御名方命(たけみなかたのみこと)) がお生まれになる
奈良時代(天平年間)
(729~749)
行基菩薩が当山に登られご尊像をお刻みになり、岩戸山妙徳院を建立される
天正6年4月
(1578)
上杉謙信公を当山にご敬葬する
元和5年10月
(1619)
高田藩主松平忠昌が上杉謙信公の墓所の例祭料として、12石地を寄進される
正徳3年
(1713)
古来からの岩屋内の社殿が腐朽したため、改造する
寛延4年(宝暦元年)
4月26日
(1751年5月21日)
大地震のため岩屋が欠壊し社殿が埋没したため、社殿を横に移し重建する(宝暦の地震)
明治39年4月14日
(1906)
本尊大日如来像が新潟県の国宝1号として指定
昭和8年
(1933)
9月東伏見宮殿下、9月4日久邇宮殿下、10月高松宮妃殿下、 昭和9年6月東久邇宮殿下などの方々がご登山来拝される
昭和25年
(1950)
文化財保護法の制定で、本尊大日如来像が国の重要文化財に変更される
昭和28年
(1953)
本尊大日如来像が奈良国立文化財修理所(現・奈良国立博物館)の解体修理をうける
昭和47年
(1972)
収蔵庫を改築する
平成3年
(1991)
本堂を改築する
平成30年4月27日
(2018)
船絵馬(3面)が上越市文化財に指定される